自働化と自動化

一流の小説家や画家になってくると、物語・ストーリーが泉のように湧き出して、原稿用紙のマス目を次々に埋めて行ったり、キャンパスに筆が自然と走って、絵を描いていくような状態、いわゆる自動書記に近い心境を経験していくと言われてます。

この時の自動とは、機械がまさに機械的に動いているような二次元的なものではなく、自「働」とも言えるものかもしれません。

A点からB点まで、ただ繰り返して動くだけでなく、立体的にもう一点、C点を含めた動きのようなものでしょうか。

毎日の仕事でも、いやいや、やっているようだと、このA-B間の動きにしかならず、「働」にまで行っていないはずです。

働とは、仕事をしている状態の事です。

我々のトレーニングの世界でも、受動的に、いやいや4種目・10回・5セットやる事を動とすれば、働となるには、少なくとも積極的な姿勢を伴ってくるはずですね。

そこには、喜びや楽しさが加わって、まさに「自働化」した時間を過ごせるのかもしれません。

自働化こそ、AIが入ってこれない境地となることでしょう。

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