渡部昇一先生が、亡くなられて(昨年4月17日)一周忌を迎えます。
どこかのテレビ局で、渡部昇一氏追悼番組でも放映してほしいものですが、昨今の議員・官僚スキャンダル番組を見ていると、誠に情けない気持ちにもなってきますネ。
以下、ご著書「いじめと妬み」PHP研究所刊、P165からの引用で、
明治の日本が白人国のうちでも最大・最強の国であったロシアに勝ったことは、
二十世紀の民族平等への道を切り開いたと言える世界史的な大事件です。
明治維新で近代国家のスタートを切ってから三十七年、当時のドイツでさえ衝突を避けていたロシアと渡り合って戦争を展開し、その上、勝利を得た。これは「武」の産物以外の何ものでもありません。
「武」という字を考えてみると、これは「戈」(ほこ)を止める」と書くわけですが、理想はまさにそこにあるのではないかと思います。
つまり、戈という攻撃の武器が自分に向かって繰り出されるのを、自らの力で止めるということが「武」であるわけです。そうやって平和を守るのが理想的と言うべきでしょう。
ただ、現実には、相手の戈を止める場合に、盾で防ぐだけでは不十分なことがあります。時には自分の戈で相手の戈を叩き落とすということも必要になるのです。
もし、相手の戈をへし折ることができなければ、いつまでも相手の戈を恐れ、怯えていなければならなくなります。
そいいう意味では、戈がなければ奴隷になるより仕方ない。こういう事態をを考えるべきではなかろうかと思います。
「戦う」ということは、人間の中にある最も高貴な面を表す契機でもある、という認識がないと、自分の正義を守ることができず、また降りかかる暴力を恐れてひたすら謝るだけ、あるいは相手の言いなりになって奴隷のように生きるしかなくなります。
それが良い選択ではないことは、言うまでもありません。
以上引用より。
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