木を見て、森を見ず。

渡部昇一先生の名著、「かくて歴史は始まる」の第一章の冒頭は、次の文章で始まっている。

歴史とは、のごときものである_このことを私に悟らせてくれたのは、ある言語学者のエッセイであった。・・・・・

「歴史というものは、虹のようなものである。それは近くに寄ってくわしく見れば見えるというものではない。近くに寄れば、その正体は水玉にすぎない」

この文章にぶつかった時、私はそれまで歴史というものに関して、何となくモヤモヤしていたものが、一挙に整理され、分かったような気がした。

たしかに、虹というものは、普通の存在とは違う、別種のものである。

誰もが虹を見たことがあり、それが存在するという事実を知らないという人は、いないであろう。

しかし、その正体を調べようとすれば、分からなくなってしまうのが、虹なのである。それは、遠くから見えてはいても、近づいて検証しようとすれば、そこには単なる水玉しか存在しないのである。・・・・・以上引用。

現在の週刊誌報道を見れば、虹を見ようとはせず、この水玉がどうのこうのと騒いでいるだけですが、やはり週刊誌に虹を期待してもしかたがないかもしれません。

本来の政治家とは、虹が見える人でなくてはならず、日本の将来、未来ビジョンを示せる人であってほしいものです。

 

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